羅大使講演会内容

「平和繁栄政策と東北アジア」
駐日韓国大使館 羅鍾一大使

2004年6月7日(月)
リーガロイヤルホテル広島

 

    皆さま こんばんは。まず、私をこのような立派な席へお招き下さいました広島県日韓親善協会の会長を始め会員の皆さまに感謝申し上げます。
  また、韓日の両国関係について多大な関心をお持ちの広島県日韓親善協会の会長、会員の皆様の前で「平和繁栄政策と東北アジア」というテーマで講演させて頂ける機会に恵まれたことを大変嬉しく思っております。
  韓国と日本そして中国の三カ国を中心とした東北アジア地域全体は、過去 長期間にわたって一種の共同体でありました。共通の文字を使用する「文字共同体」でもあり、また 交易もひんぱんに行われた「交易共同体」でもありました。
  また、この三カ国の国民は 教養と教育、自己開発のために共通のテキストを使用しました。勿論、この東北アジアの共同体制の性格は その時期によって異なっていました。ある時期には 三カ国間の関係がとても円満でありましたし、共同体制の性格が強い時期もあった反面、ある時期には三カ国の関係が疎遠で共同体制の性格が弱くなった時期もありました。
  歴史家たちの研究結果を見ると、概ね 今から 1000年前にあたる 日本の平安時代、中国の唐の時代 そして新羅時代は、この地域の共同体制が一番強くて 往来も円滑な時期だったといわれています。
  これと対照的に共同体制の性格がとても弱い時期もありました。例えは 17世紀前半の日本の徳川時代、そして 14世紀後半の中国の明の時代、また 15世紀初期の韓国の朝鮮時代は各国がそれぞれの理由で鎖国政策を目指した時期であったので、東北アジアの共同体的な性格が相対的に弱い時期だったといわれています。
  しかし、この三カ国はお互いに影響を与えたり、受けたりして来ました。文化や他の影響力を土台にした交流に 一方通行というものはありません。常に相手に与えただけの影響力を受け、また 他人から学んだだけ 他人に教えるという関係を通じて共通の文化を形成したと思われます。この共通の文化的な伝統を基盤にして各国がそれぞれ独特な文化を発展させたと思われます。
  韓国や日本、中国はそれぞれ独特の文化的な業績、あるいは ほかの分野でも業績を誇っておりますが、この業績も 結局 東北アジア全体の共同体的な文化を背景にしたものだと我々は考えています。
  この東北アジア共同体形成の過程において韓半島が果たしたのは 一種の架け橋の役割でありました。影響を韓半島を通じて与えたり受けたりしたのです。時々韓半島が相互に侵略する、そんな橋の役割となったこともあります。しかし そうした例は少なく、一般的には韓半島がブリッジの役割を担ったと考えられます。
  近代化は西洋から始まりましたが、西洋の近代化を一番早く吸収し 消化して、それ自体を発展させ、ある分野では西洋を凌ぐ業績を成し遂げた地域が東北アジア地域であります。
  東北アジア地域が西洋の近代化をどのようにして最も早く学び、また 最も早く一定の分野では西洋を凌ぐところまで至ったか。これは 三カ国が共に長期 - 1000年、2000年、あるいは数百年間を通じて築いた文化的な業績が背景になったと私は思っています。
  一方、近世に入ってからは、西洋文化が急速に広まり、東北アジアの共同体的な性格は大きく弱まります。それまでは この三カ国の文化的な、政治的・経済的な活動が共同体を背景にして行われて来ましたが、近世以降には 西洋がモデルになります。
  話を前世紀半ばに移します。この地域は 第二次大戦が終わったあとは東西両陣営の理念的、軍事的及び政治的な対決の場を そのまま反映する形となってしまいます。20世紀の後半は この地域の三カ国を中心とした共同体ではなく、東西間の対立を反映する 南北間の対立、あるいは 学者達が俗にいう海洋勢力と大陸勢力の対立の様相を見せるようになります。
  東北アジアが海洋勢力と大陸勢力に対立する様相になった時の最前線は韓半島でした。韓半島は東西両陣営の理念的、軍事的、または政治的な対立をそのまま象徴する最前線となり、ある意味では 東北アジアの共同体がかってとは違った姿になりました。
  先ほど 述べましたように、韓半島が この地域の共同体をつなぐ架け橋の役割を果たしてきたというならば、もはや 架け橋というより、対立を象徴する立場になり、実際に韓半島では 3年間に及ぶとても熾烈な戦争を経験しました。
  皆様の中に 韓国の板門店とか、非武装地帯、休戦ラインに行ったことのある方がいるかどうかはわかりませんが、そこで 皆様がご覧になったのは まさに 東北アジアとは共同体ではなく、海洋勢力と大陸勢力の分断された形で残っているという現実です。
  このような対立と葛藤がなくなり始めたのは 90年代に入ってからです。冷戦が終息して いわゆる社会主義陣営が改革開放の路線に沿って協力と交流を行い、かっての共同体の性格が回復し始めました。冷戦構造が世界的に解体される中で、東北アジアも徐々に対立から交流と協力へと、変わり始めました。
  この間、ほんの 10年余りですが、この間の交流と協力の発展ぶりを見ると、驚くほどです。最近の 韓国、日本と中国との間の交流、協力は 過去半世紀に及ぶ冷戦時代には想像すらできなかったことでした。
  まず 経済的な面では、 2003年の韓国と日本、中国 三カ国の交易の状況を見ますと、韓中間で 570億ドル、韓日間は 536億ドルで、日中間は 1324億ドルでした。
  昨年の韓・日・中 三カ国間の相互の投資現況を見ますと、韓国が中国に 26億ドルを投資し、日本は韓国に 5000万ドル、中国には 13億ドルを投資しました。また、韓・日・中 三カ国の人的交流の現況を見ますと、2002年の場合は 韓日両国間には 約 370万名が往来しました。いいかえれば、1日に 1万名が両国間を往来した計算になります。
  皆様もご存知でしょうが、来年は 韓国と日本両国が修交(国交正常化)をして 40周年になります。ところで 40年前に日韓両国間には、1年に1万人ほどの人的交流があったと聞いています。今は 1日に 1万人以上が往来しているのです。韓中両国間には 同じ時期に 227万人が往来しました。そして 日中両国間では 約 337万人が交流しました。
  ひとつ興味深い事は、昨年 2003年にご存知のSARSの影響で人的交流は大きく減少しました。にもかかわらず、韓国国民が日本を訪問したのは 162万人で、むしろ 15万人増えました。単一国家としては 韓国が日本を訪問した人の数が一番多い国となりました。
  その理由は いろいろあると思いますが、特に ワールドカップサッカー共同開催以降に日本の文化が韓国に沢山紹介され、日本に対する関心が韓国で急増したためではないかと思います。昔の日本と韓国との関係は 主に政治と経済の領域に限定されていて、両国間を往来した人々は主に指導者層に限られていたのです。
  今は 政治、経済のみならず、学問、文化、スポーツ、レジャー、ひいては ショッピングの領域まで 我々の生活に関連のある あらゆる領域において往来があるだけでなく、往来する人々も指導者に限定されず 一般大衆が往来しています。
  今後は、この三カ国間の経済交流 あるいは人的交流、文化的交流は より拡大されるだろうと思います。また、この地域が世界の経済においても一番 未来が明るい地域であり、発展の可能性を一番持っている地域でもあります。
  韓・日・中 三カ国間のGDPを合計すると、全世界のGDPの約 19%になるといわれています。ある学者の推計によると、今後は 今世紀の四半世紀(2025年)頃の時代になると 45%になるだろうという予想もあります。
  情報、通信の発達と貿易の拡大、人的交流の増加、そして 文化的交流の拡大などを通じて 東北アジアの相互連帯・協力は、より強化されるものと思われます。東北アジアの三カ国で、このように協力、交流が活発に展開されていますが、唯一の例外があります。
  それは北韓であります。この地域のほとんどの国や全ての人々が未来に向けて 動きを早めているのに、北韓だけが、まだ孤立して 過去の状態そのままに残っています。これは 地域全体から見ると、韓半島が まだまだ この共同体の架け橋の役割を担うことができないという意味になります。
  韓半島は言うまでもなく半島です。海洋と大陸をつなぐ半島であるにもかかわらず、実は冷戦時代から韓半島は半島ではなく、島と大陸に分離されているわけです。なぜなら、南北間の交流と協力が不可能であったからです。韓国政府は過去 何年間か、そして 現在も より果敢に北韓に対して包容政策を遂行していますし、この包容政策を通じて 今は漸次 半島としての固有の役割を取り戻すように努力しています。
  我々が数年前から 韓半島の緊張と対立の構造を緩和し、北韓を国際社会の一員として導こうと努力したのは、韓半島の緊張緩和が成し遂げられなければ、共同体としての性格を回復することが難しくなるからです。勿論 韓半島における緊張緩和 あるいは交流と協力の増進、安全保障の推進 - これらが韓半島の内部において最も重要な「核心」ではありますが、東北アジア全体にとっても、とても重要なことであると述べたいのです。
  今後は 経済的な要因のみならず、文化的、情緒的な親近感を土台に東北アジアにおいて交流と協力は より拡大され、かつ 発展させなければなりません。そのためには、韓半島における緊張と対立の構造が解消されなければなりません。最近 韓国政府の積極的な北韓に対する包容政策の推進によって南北間の葛藤と対立の構造は、過去の冷戦時代に比べて非常に弱まりました。
  現在は - そんなに活発だとは言えませんが - 過去に比べれば、隔世の感と感じるほど、南北間の交流が行われています。ささやかではありますが、南北間を交通あるいは通信で連結しようとする努力が少しずつ成果をあげています。
  勿論、北韓の核問題、ミサイル問題など 色んな難しい課題はありますが、基本的には 南北の関係は過去に比べれば、大きく改善されたと言えるのです。現在の盧武鉉政府は「平和繁栄政策」といわれる対北政策を推進しています。
  この政策は基本的な面において金大中政府の包容政策を継承発展させています。ですが、この「平和繁栄政策」は独特の三つの特徴を持っています。
  第一の特徴は、「平和繁栄政策」は 統一、外交、国防政策の全般を盛り込んでいるという点です。統一政策の究極的な目標として南北間の平和と繁栄を揚げることで、既存の統一政策を越えた包括的かつ具体的な国家発展戦略が盛り込まれています。
  第二の特徴は国民の参加と合意形成といった国内的基盤を醸成することを重視するという点です。韓国政府は文化政策を韓国の法と制度に従い透明性をもって推進し、積極的な国民の参加を通じた国民的合意形成に主力を注いでいます。
  国民的合意と支持のない政策は長い生命力を持つことができません。のみならず、韓国政府は北韓に対する和解、協力の政策を推進することにおいて、友好国とも緊密に協議し 協力するという政策を持っています。
  第三の特徴は 韓半島だけでなく東北アジア全体の平和と繁栄を追求するという点です。言うならば、韓半島の平和と繁栄を通じて、消極的には 東北アジア共同体の平和と繁栄の障害の要素を除去しますが、積極的な意味から言うと、東北アジア共同体の形成に積極的に寄与し、東北アジア地域全体の平和と繁栄により積極的に寄与するという意味を込めています。
  もし - 今は予想することはできませんが - 南北韓が統一される場合、この統一が韓半島に有益になるだけでなく、周辺の全ての国家にも有益になるための統一が成し遂げられなければならないということです。そのためには、まず 重要な課題は北韓を責任のある国際社会の一員として、正々堂々と参加できるよう努力することです。それには 韓国の友好国である米国や日本との協力が非常に重要で、特に日本の協力が重要であると思っています。
  ご存知のように、北韓の核問題を平和的に解決するために 現在 韓国、日本、米国、ロシア、中国 そして北韓が参加している六カ国の協議が進められています。北韓の核問題が六者協議を通じて成功裏に妥結できれば、この六者協議を東北アジアに平和と安全を構築するための新たな安保レジームに対する論議の場へ発展させることもありうると思います。
  今後、韓半島で分断と葛藤の構造が解消されて、平和が定着することによって、韓半島が再び東北アジアの共同体に架け橋の役割を果たすことになることを期待しています。韓国政府の北韓政策の方向と東北アジア時代の協力について述べてきましたが、東北アジアの国家間の協力と韓国の北韓政策に関する対話が成功するよう期待いたします。
  私があまり時間を費やしたのではないか、不安な心境ですが、この辺りで 終わらせて頂き、もし対話が継続されれば、その対話がもっと行なわれることを期待しております。
  ありがとうございました。


 (このあと、米軍の一部撤退と韓国の安全保障に関し、会場からの質疑と大使の回答がありました。)