第 60 集 (2009年08月)

□ 韓国人原爆慰霊祭に 300人

  原爆の犠牲になった韓国人の慰霊祭が09年8月5日午前、広島市中区の平和公園にある慰霊碑前で行われました。
  40回目の今年の慰霊祭は広島韓国伝統芸能芸術院の朴裕恵さんらの舞う「鎮魂への祈り」ではじまり、権五源民団県本部団長が、この1年間に亡くなった14名の名簿を慰霊碑に奉納しました。
  黙とうのあと、権五源団長が家族との再会もかなわずに異国の土となった原爆犠牲者の無念を思い「たゞたゞ冥福を祈るのみです」と追悼のことばを述べました。そして、おくれている在外被爆者の救援を求めるとともに、5月に2回目の核実験を行った北朝鮮に対して、核兵器を一日も早く廃絶するよう訴えました。
  また 慰霊祭にはじめて出席した韓国の権哲賢大使は、李明博大統領の指示によって出席したことを明らかにする一方、90年代はじめに日韓両国政府の合意で設けられた基金による在韓被爆者の支援を拡大するよう求めました。
  このあと、参列者凡そ300人が次々に慰霊碑に花輪や花束をさゝげて、冥福を祈りました。

朴裕恵さんらによる追悼舞踊

新たに14名の過去帳を奉納

民団県本部権五源団長

権哲賢大使

民団県本部三役の献花

許徳行総領事

写真提供:民団広島県本部

安東善博広島県日韓親善協会会長

民団婦人会の献花



 

 

   □ 大邱から20名 思い出を残して
       広島市・大邱広域市青少年交流事業


  広島市と大邱広域市の青少年交流事業で、09年7月24日(金)から28日(火)までの5日間、大邱の中・高校生20名が広島を訪れ広島の青少年と交流しました。
  この事業は、姉妹提携している両市の青少年同士の相互理解を深めようと、W杯サッカーが日韓で共同開催された2002年から行われているものです。
  今年は大邱の青少年を広島で受入れる順番で、大邱観光高校3年生の申然洙(シンヨンス)君ら男子8名と源花女子高校2年生の李信恵(イシンヘ)さんら女子12名の合わせて20名がユネスコ大邱協会副会長の宋承達(ソンスンダル)団長ら引率者5名とともに7月24日(金)昼前、広島入りしました。
  同日は中区のアステールプラザで、対面式があり、広島の青少年20名と顔合わせをしたあと、コマやケン玉など日本の伝統的な遊びに挑戦しました。
  夕方からは厚生年金会館で歓迎パーティーがあり、秋葉忠利広島市長も出席して、「姉妹都市の絆が強まるよう有意義な5日間を過ごして下さい」と述べました。
  翌25日(土)は呉市下蒲刈町にある朝鮮通信使の資料館などを見学。午後から27日(月)まで2泊3日のホームステイを行いました。
  ホームステイを終えた大邱の青少年達は、はじめて、日本に来て「驚いたこと」、「新しく発見したこと」などについて広島の青少年の交流メンバーと意見交換しました。
  大邱の中・高校生にとっては、▽日本の街がきれいで日本人が親切だったこと、▽韓流スターのことがよく知れていること、▽日本の女子高校生のスカート丈が短いことなどが驚きだったようで、ユーモアをまじえて日本の印象を話していました。
  こうした交流を通じて両市の青少年達はすっかりうち解けた様子で、最終日の7月28日(火)には涙を流しながら別れを惜しみ合う姿も見られました。
  今年の交流事業は、前回の2006年同様、過去の参加者を中心とした支援グループ「アクス」のメンバーが、公募で集まった交流団員とともに歓迎行事の企画・立案に当たり、初日のパーティ会場では、氷菓子やヨーヨーなど夏の夜店の雰囲気を演出するなど工夫をこらしていました。
  事業は当協会の安東善博会長が実行委員長、事務局も当協会におかれていますが、広島市教育委員会青少年育成部が実務を担当し、成功の陰の力となりました。
  ご協力いただいた皆さまに感謝申し上げます。

歓迎セレモニー(7月24日)

広島市教委 清水青少年育成部長

広島側 佐々木団長

大邱側 宋承達団長

両市から40名が参加

日本文化体験

 

ケン玉にも挑戦

 

歓迎パーティでは「夜店」も

 

安東実行委員長あいさつ

秋葉市長あいさつ

大邱交流団のみなさん

反省会(7月27日)

 

「女子高生のスカートが短い」

いよいよお別れ

名ごり惜しい別れの朝

あちこちで記念撮影

「ありがとう!」「またね!」

 

5日間の思い出を胸に---

「サヨナラ」「サヨナラ」